企業再生を進める過程で多くの社長さんが悩む問題があります。
それは、いわゆるいい人ほど感じることかもしれません。
本当に経営に困窮し、一時は毎日どうやって死のうか、駅のホームに立ち、
列車が来るとふと線路に飛び込みそうになる自分が怖いというような日々を乗り越え、
社長自身が再生するという強い意思をもって、我々と一丸となり、
再生スキームをこなしていると言うときから、ある程度一段落したときに、感じる不安感です。
それはなんでしょうか?
再生を決意した心の流れを整理すると、
返せない借金がある
↓
自殺するより生きて家族や社員を守る
↓
取引先等に迷惑をかけないで再生したい
↓
経済人として必ず復活する
↓
借入先(金融機関)までは返せない
と言うように生きる自信を取り戻し、家族や社員、取引先に迷惑が、かからなかったとしても、
銀行への借入が残り、それが法的(銀行の経済的合理性)に問題なかったとしても、
「踏み倒した借金がある」という事実が残ります。
元々返せない借金があったから再生したわけです。
つまり、だれかに(金融機関)に迷惑をかけたことには、違いないのです。
逆に言うと「返せない借金」があるから再生したわけで、
再生できなければ「死んでお詫びする」しかなかったのです。
なにもこれは開き直っているわけではなく、死んだほうが家族や社員を悲しませ、
且つ迷惑をかける範囲がおおきくなるので「だれかに(金融機関)に迷惑をかける」という究極の選択をしたのです。
では、冒頭に申し上げた「ある程度一段落したときに、感じる不安感」とは、なんでしょうか?
それは、再生しても「だれかに(金融機関)に迷惑をかけた」と言う事実が人として自分を許せないのです。
でもそのとき「返せない借金」があり、「踏み倒した借金がある」という事実は消し去りようがないのです。
では、そんなとき人間としてどんな考え方ができるのでしょうか?
私は、人間の価値観(生き方=目標)に順序をつけると
1、 多くの人から尊敬に値すると認められる人
2、 自信を持って多くの人と共に力強く生きてゆく人
3、 自分の事しか考えられない人
4、 生きる自信が無く死んでしまう人
大まかに言うとこんな順序になります。
もしもあなたが「多くの人から尊敬されたい」という目標を持つなら、
消し去りようが無い事実は大きく圧し掛かり晴れることがありません。
しかし、「自信を持って多くの人と共に力強く」と考えると
企業再生 = 力強く生きてゆく ということかもしれません。
では、なにが正解でなにが間違いなのでしょうか?
間違いも正解もない、あなたしだいと言うことです。
そんな中でわたしの考えを言わしていただきますと
「自信を持って多くの人と共に力強く生きてゆく人」ができたなら
「多くの人から尊敬に値すると認められる人」なる努力をします。
「自信を持って多くの人と共に力強く生きてゆく人」ができないのに
「多くの人から尊敬に値すると認められる人」をかんがえてもしょうがないと思うからです。
私は人生とは日々階段を登るようなものであり10段登ると11段目がきて、
11段登るとまた次の段がくる。実際これは苦労かもしれませんが死ぬまで修練できる場が人生なら、
死ぬまで人間は成長できるし、またこれを楽しめばいいと思うのです。
一度や二度失敗しても「多くの人から尊敬に値すると認められる人」になりたいと思っていると
目の前に階段は現れるでしょうし、気持ちがあれば登ればいいのです。
実際、「多くの人から尊敬に値すると認められる人」とは「どれだけ多くの陰徳を積んだか」
と言うことかと私は考えます。
この考え方に立ち返ると階段を登るチャンスは日々瞬間瞬間おとずれているはずです。